詳細
項 目 | 内 容 |
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分類 | 史料 |
史料名 | 「廻文記 二」より 水戸殿家来掃部頭登城途中乱妨に及ぶ |
史料名かな | みとどのけらいかもんのかみとじょうとちゅうらんぼうにおよぶ |
史料番号 | 展示番号9 |
時代 | 安政7年3月17日 |
作成者 | 近藤原八郎 |
内容・備考 | 史料番号:古文書-史料106-00002 |
解説 | 掃部頭(かもんのかみ)とは大老井伊直弼のことで、安政7年(1860)3月3日、直弼が江戸城へ登城する途中、桜田門の外で水戸の脱藩浪士に暗殺された桜田門外の変に関する資料。安政の大獄の発端となった「戊午の密勅」を返納するか否かで水戸藩内は紛糾し、返納反対派の一部が直弼暗殺へと動いた。同じ常溜(じょうだまり)(代々溜詰(たまりづめ)の家)であり直弼と縁戚関係である高松藩も、水戸藩士の反対派の一部から恨まれているという噂があった。さらには水戸藩主慶篤から頼胤へ、その一派が江戸へ入るため夜分は気を付けるよう伝えてきたといわれている。この資料から、心得違いの者がいるかもしれないため、昼夜を問わず藩邸を出入りする者の確認を厳重にすること、重役を詰めさせることを水戸藩家老に通達し了解を得たため取締方は心得るよう奉行所から御触があったことがわかる。 (展示キャプションより) |
文書群名 | 企画展示「高松藩を記録する~江戸時代のアーカイブズ~」 (開催期間:令和5年6月17日~9月3日) |