詳細
項 目 | 内 容 |
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分類 | 文書群 |
文書群番号 | 8107 |
文書群名 | 企画展示「高松藩を記録する~江戸時代のアーカイブズ~」 (開催期間:令和5年6月17日~9月3日) |
史料数 | 54 |
解題 | ごあいさつ 昭和20年の高松空襲では香川県の公文書のほとんどが焼失し、同時に高松藩の藩政資料もまたその多くが失われました。しかし江戸時代、藩内各地でも様々な高松藩に関する記録がつくられ、現在まで遺されたものも少なくありません。 香川県立文書館では、県の公文書を移管等により収集し、保存に努めるかたわら、こうした各地に残る資料もまた「江戸時代のアーカイブズ(公文書)」ととらえ、収集に努めています。そうした中で昨年度収集した「徳田家文書」、その中の「廻文留」などと題された5点の資料は嘉永4年から明治5年までの約20年間にわたる日々の藩士への通達とそれにまつわる出来事などが記された、幕末の高松藩の記録です。 本展示ではこの5点の資料などから、幕末を中心に江戸時代の高松藩に関するアーカイブズを紹介します。これらの記録に触れ、当時の様子に思いをはせるきっかけとなれば幸いです。 一、徳田家と高松藩の記録(展示番号1~4) 「廻文留」などを残した徳田家は、在野の武士である「窂人」身分でした。一連の資料からは紀伊国屋を屋号とし、酒屋などを経営する商家であった事がうかがえます。折々に藩への献金を行うなど豊かな財力を誇り、その功などにより幕末期に当主であった徳田達蔵は藩士の地位を得ました。それを契機としてか、藩の記録を「廻文留」に残したほか、「源英様御代御令條書抜」など高松藩政期を通じての法令集をまとめました。 二、幕末の高松藩の記録 ー「廻文留」を中心に(展示番号5~49) 幕末の高松藩はいわゆる親藩として大坂や京都の警備、第一次長州征討への参加などを行いましたが、幕府の崩壊に伴い朝敵となるなど不遇のうちに明治維新を迎えることとなります。「廻文留」など5点の資料には、高松藩士の立場で藩からの通達などが記録されており、幕末期の高松藩の様子が見て取れます。廃藩置県により高松藩がなくなるまでを当時の記録を抜き出して振り返ります。 三、高松藩を記録する(展示番号50~54) 幕末に限らず、高松藩の様々な記録は県内各地で作成され現在に伝わっており、ここではその一端を紹介します。これらのアーカイブズとの出会いが、新たな発見と、当館所蔵資料の利用のきっかけとなることを願っています。 (展示室 ごあいさつ、展示解説パネルより転載) |