詳細
項 目 | 内 容 |
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分類 | 文書群 |
文書群番号 | 8100 |
文書群名 | 企画展示「香川県立文書館 開館25周年記念展 讃岐を治めたお殿様の手紙」 (開催期間:令和元年7月5日~9月8日) |
史料数 | 27 |
解題 | ごあいさつ 香川県立文書館は重要な公文書・古文書・行政資料について移管を受け、又は収集し、整理・保存を行い、広く県民の利用に供するとともに、これらに関する調査研究を行う施設として、平成6年3月28日に開館し、今年で25周年を迎えました。 それを記念して、25年の間に収集した12万点余りの古文書の中から選び出した、とっておきの資料の数々をご覧いただきます。題して「讃岐を治めたお殿様の手紙」。この讃岐の地を治めた生駒家、丸亀、多度津京極家、高松松平家の代々のお殿様による手紙を紹介する企画展です。立派な紙に大きな文字で書かれた手紙から、普段の用事や日々の思いを所狭しとつづった手紙まで、讃岐のお殿様たちの公私にわたる様々な姿を、それぞれの手紙の中にのぞき見ていただけるかもしれません。 文書館が収蔵しているお殿様の手紙の多くを、一度に見ることのできるこの機会を皆様にお楽しみいただければ幸いです。 1.生駒藩のお殿様の手紙(資料番号1~2) 江戸時代、最初に讃岐を治めたのは生駒氏です。天正15年(1587)、豊臣秀吉の家臣生駒親正は讃岐国に入り、高松と丸亀に城を築くなど領内の支配体制を整えていきます。関ヶ原の戦いで親正は西軍につき、敗れますが、子の一正が東軍についたことで親正の罪は問われず、一正への代替わりを経て江戸時代も讃岐生駒藩は存続します。生駒藩では高松城下町の整備や検地、新田開発、ため池の増築などに努めますが、生駒騒動と呼ばれる藩内の対立から寛永17年(1640)幕府により生駒氏の知行は没収されました。生駒氏は讃岐を去り、出羽国八島へ移りました。 2.丸亀藩・多度津藩のお殿様の手紙(展示資料3~19) 生駒氏の後、讃岐国は東西に分割され、寛永18年(1641)には山崎家治が西讃岐5万石を与えられますが、3代目の山崎治頼が幼くして死去、家が途絶えます。万治元年(1658)には京極高和が丸亀藩6万石の藩主となり、その跡を継いだ高豊の時には次男高通に1万石を分与して多度津藩としました。丸亀藩、多度津藩を治めた京極家のお殿様の手紙を紹介します。 3.高松藩のお殿様の手紙(展示資料20~27) 生駒氏が出羽国に移った後、寛永19年(1642)に東讃岐12万石を与えられたのは御三家の一つ水戸徳川家の初代頼房の長男松平頼重でした。水戸家の分家である高松松平家の家格は高く、江戸時代を通じて水戸家との深いつながりを保ちます。当館が収蔵している高松松平家の初代頼重、2代頼常、5代頼恭の3人のお殿様の手紙を紹介します。 (展示解説パネルより転載) |